2025/08/25-地上の蝉

・地上の蝉はもう地中には戻れない。けれど、陽の暖かさを知っている。

 

・月日は人を癒すし、立場は人を変える。

誰しも生きていれば時間は経っていくし、立場も以前とは異なっていく。僕たちは、10年前の僕たち自身とはまた違う形の輪郭をしている。


・それらはもちろん、良い、悪いではない。

「人間はその一生のうちに成長することは無い。一切は変化である。」って、萩原朔太郎の青猫だったかな。

5年前の僕は眠れない夜に本ばかり読んでいて、ずっと救われていた。今では、寝れない夜には人と話すことが増えた。

「書を捨て、町へ出た」というわけだ。


・しかしもちろん、これは変化でしかない。今の僕は5年前の僕の上位互換ではないのだ。昔の僕の方が人の痛みにはもっと敏感だったし、情緒的だったと思う。

けれど僕は、今の僕を誇っている。今の自分が一番だと確信している。

・人は必ず変化する。いや、してしまうものだから、今の自分の「良さ」を愛するのがいちばんの幸福だと考える。


・"変化"の話をしよう。

例えば、以前はできていたことが、できなくなってしまう。これはすごく辛いことだ。雨には耐えることが出来るけれど、立っている地面が割れてはどうしようもない。自分という人間の価値すら見失って、塞ぎ込んでしまうこともあるだろう。


・客観的に見て、失われた能力は、失われた能力だ。それは認識する必要がある。

例えば喋るのがすごく上手だった人が吃音などで上手く喋れなくなってしまったとする。この場合、「喋る能力が落ちた」は事実であり、認めなければならない。


・けれどそれがその人の価値を貶めることにはならない。喋る能力が落ちたって、その内容を考える能力は落ちてない。それに、自由に表現できないことのつらさへ共感することかできるし、喋る以外の別の表現手法の表現能力が向上する場合だってあるだろう。

・過去を悔やんで、或いは羨んで、今を否定してはいけない。せっかくの傷に、傷がついてしまうから。

・ものごとは全て不可逆だ。例えば、英語を全く話せない頃の自分には戻れない。英語が目や耳に飛び込んできたら、その意味を理解してしまうだろう。ただの「音」であり、意味を持たなかった頃に感じた感覚を再び得ることは出来ない。


・能力には上位互換がいる。賢い人は世界にごまんといるし、文章が上手な人、話すのが上手い人、聞き上手な人、枚挙に暇がない。

・けれど、「弱み」には上位互換がない。Aさんの痛みに寄り添える人とBさんの痛みに寄り添える人は違った人だし、それらに能力の甲乙はつけられない。それはパズルのピースのようなもので、凹みがなければどこにもハマらない。大が小を兼ねない場合だってあるんだ。


・僕たちに"進化"はない。長所には必ず短所が付随するし、能力には裏目がある。強い人間は弱い人間に寄り添えない。

ホームレスの目の前にジョブズビル・ゲイツが現れて「人生は金じゃない」と言われたとして、それに納得できるだろうか?舐め合いでしか夜をやり過ごせない傷もある。強くなることとは、弱さを捨てることと同義だ。


・弱いままでいいこともある。弱さが優しさよりも、強さよりも、似つかわしい夜もある。過去の自分の方が寄り添える相手もいるだろう。少年には無茶が許されるが、大人は算盤を弾かなきゃいけない。

・けれどもちろん、強さでしか救えない相手もいる。今の自分にしかできないことがある。僕たちの手には限界があって、何かを選ぶことは何かを捨てることでもある。だからこそ、今掴むことの出来るものを大切にしなければならないと思う。


・"自分"は、必ず変わっていく。そんな僕を、好きで居続けたい。

 

- YouTube