その「シナジー」は正しいですか?

論理的であるという錯覚

・一見論理的で正しそうな内容は、非論理的/直観的であることが明らかな内容よりも、遥かに危険を孕んでいる可能性がある。
本当は「これをしたい」という目的の方が先にある。それに見合うような理屈を後付けして正当化する、要は理論武装なのだ。そして多くの場合、その正当化の矛盾に気づくことが出来ない。だからこそ「何故か」勝てないという思考の坩堝に陥ってしまう。
ポケモンというゲームにおいては、「要素」と「シナジー」という言葉に思考が乗っ取られがちであり、そこに危険が潜んでいるケースが往々にして存在する。今回はアナジーの側面からシナジーの全能性を否定しようと思う。

そもそも
・アナジーとはシナジーの対義語であり、相互マイナス効果のことを指す。ゲームにおいて、「シナジー」という概念は頻繁に考察されているものの、「アナジー」については考察を放棄されることが少なくないように感じる。

ケースごとの考察
・例から考えてみよう。例えば、身代わり格闘テラバ黒バドを使っているとする。黒バド対策のチオンジェンやHDキョジオーン、暁ガチグマなどに強い、所謂「対策の対策ポケモンである。
・この時、この型の強みを活かすために構築は「キョジオーンやチオンジェンやガチグマを選出させる」形でなくてはならない。しかし、実際にこのように組むことはとても難しい。なぜなら、これらの対策ポケモンは、黒バド軸に自然に採用されるポケモンによって既に対策されてしまっているからだ。これら単体での「対策」が既にトラディショナルなものになっているのはある種当然の帰結でもある。
・例えば鉢巻水ウーラオスはこれらに強く、相手の裏でも受かっていないことが多い。剣の舞パオジアンや挑発瞑想ハバタクカミ、或いはバド側のキョジオーンなど、「シナジー」を意識した構築作りにおいて、既にバド受けへの対策は完了している。
・このため、「相手からの視点」を極端に強く意識して「対策を対策できていなさそう」な並びを組まない限りは、このバドを強く使うことは出来ないだろう。カタログスペックが非常に高い割に、この型がほとんど結果を出していないのはこのような理由である。
相手視点での選出が足りず、対策を選出することを諦めてしまう可能性があったり、釣り交換などをケアされた結果の噛み合いが起きてしまったりと、対策の対策を活かすことはとても難しくなってくるのだ。
この時、身代わり格闘テラバ黒バド+ウーラ/ハバタクカミ/キョジオーンなどの並びは、アナジーを産んでいると表現することが出来る。

役割集中についての誤解

シナジーの代表として「役割集中」はよく挙げられる要素である。同じ役割を持った、同じ相手を呼ぶポケモンを重ねることで、相手の役割を破綻させる。

それによりどちらかを通すことができる、という理屈である。僕は構築を組む上でこの理屈を愛用しているのだが、これについても誤解が散見される。役割集中とはそもそも、選出/プレイまで一貫して構築段階から想定している必要があるのだ。

「××で○○に受け出しさせる、受け出しさせた○○を××で交代せずに削り、後ろの△△の圏内に入れることで全抜きを狙う」というように、ある種ギミック的な思考と行動を要求されている。

・例えば、「特殊の役割集中」という言葉がある。これは間違っていることが多い。特殊と一括りにしても、ポケモンごとに「そのポケモンを受けられる」ポケモンは異なる。

例えば、黒バドレックス+エナジーハバタクカミは、どちらも高速ゴーストタイプ+特殊で役割集中に適しているように見えるかもしれないが、その実バドレックスを受ける「あくタイプ」にはハバタクカミが強く、ハバタクカミが苦手とする「はがね/どくタイプ」にはバドレックスがそう悪くない通りをしている。また、どちらも火力と技の一貫性が高いことから「受け出し」をされづらく、結局相手の受けを削ることにはなっていない。

では対面のポケモンのhpを削って残りの片割れで全抜きを狙えるかと言えば、それには力不足だ。つまり、ハバタクカミと黒バドレックスは役割集中と呼ぶにはシナジーがなく補完と呼ぶには互いの苦手をカバーしきれていないと言える。

パオジアンを軽々しく採用しすぎだとは思いませんか?

・アナジーはなにも、このような極端な話によらない。例えば、ディンルー+スカーフ黒バド+カイリューの並びにパオジアンを採用することだってアナジーではないだろうか。
・バドレックスというポケモンは「こだわりメガネ」による崩し、「こだわりスカーフ」によるゲームメイク、「きあいのタスキ」による対面性能が、選出画面で断定しきれない点がなによりの強みだろう。
しかし仮に「こだわりスカーフ」がわかっていたとするならば、こちらは初手にディンルーを繰り出し、相手のトリックにしっぺがえしを併せてしまえばまあまあゲームを終わらせることが出来る。
あるいは、チョッキコライドンで「ニトロチャージ」ではなく「フレアドライブ」からスタートすることで、1ターン目で試合を決める数的有利を取ることが出来てしまう。
・さて、ディンカイバドという並びはバドレックスがスカーフ襷オボン、なんならメガネまで全て存在する点が強力だ。全対応をさせない、という点がこの構築の強さを引き出している。
・しかしパオジアンを採用してしまったらどうだろうか?ほとんどの場合、パオジアンを相手する時には、きあいのタスキを想定するだろう。仮にこちらのパオジアンが「いのちのたま」や「黒いメガネ」型であったとしても、相手視点では襷にしか見えない。そこで、バドレックスのきあいのタスキを完全に切って行動することが出来てしまう。
・この場合、パオジアンの採用理由がどれほど論理的であろうと、どれだけ必要な条件を満たしていた場合であろうと、アナジーを引き起こしていることは明らかだろう。パオジアンの存在は構築の強みそのものを破綻させていると言える。パオジアンは軽々に採用できる存在ではないと考えられる。

・見せ合い画面で相手が得る情報は種族名だけであり、「遠い情報」である。しかし自分が構築を組んでいる時、補完を組む時は具体性を持って思考を進めるため、「近い情報」でしか捉えることができない。このようなメタ認知のズレこそが構築の強みを消失させていることは少なくない。
・自視点における「構築の完成」、即ち全対応を達成したとしても、それは強い構築の"局所因子"以上の意味を持たない。
なぜならば、相手から自分の構築を見るという視点を持っている場合、全対応という概念が絶対に存在し得ないということに気づくことができるからだ。対人ゲームである以上、「全対応」は「「絶対」」に出来ないのだ。

ジョーカーは存在しない

・構築の軸を決めたあと、補完枠を「要素の穴埋め」のみで構築している記事をしばしば見掛ける。これは、あまり正しくない思考過程であると思う。
穴を埋める際に使用したピースは、そのピース自体の凹凸も考慮しなくてはならない。先に例にあげたパオジアンであれば「他のポケモンきあいのタスキをケアした行動をされなくなる」という、大きな制約を抱えている。
シナジーばかりに目を向け、アナジーを軽視、あるいは無視している構築は数多い。実際の試合運びにおけるシナジーはそもそも基本選出の三体で完成されているわけであるから、残りはアナジーを産まない点にフォーカスすべきであると考える。僕が常々「構築は三匹で完成しているべき」と主張する理屈はここにある。

ジビエ料理屋でカルパッチョを食べたいですか?

・そもそも「構築の始点」は決して軽んじられる存在になってはならない。ある形の中で「これが強い」という確信から組み始めたのなら、構築はその軸を一本の柱として組まなければならないだろう。六匹ではじめて完成している構築は、はっきり言って完成度が低い。なぜなら、アナジーについて意識を配ることが出来ていないからだ。
ジビエ料理を食べに来た時に、「美味しいから」という理由でチャーハンやらパスタやらピザやらカルパッチョやらが提供されたらどうだろう?店の程度が知れるというものだ。
ジビエ料理を食べに来ているのだから、コースの中身はメインを楽しむために構成されてしかるべきだ。六匹で完成した構築は、アペタイザーにタイのカルパッチョを出してくるジビエ料理となにも変わらない。

マークシートをふたつ塗ったら「間違い」なのです

・論理展開をする際、言葉は多ければ多いほどいいと言うわけではない。理屈は基本的に減点方式で、必要より多くても少なくてもいけない。学校の試験とはわけが違う。
我々はついつい、行動に理屈をつける時に過剰に理屈をつけてしまいがちだ。しかしそれは決して行動の正当性を担保するわけではない。「ひとつ選べ」の選択肢で、どっちもありそうで曖昧だからといってふたつ選んだら間違いでしょう。我々は、行動の理由について明確な取捨選択を行わなければならないのだ。
これはゲームに限らず、あらゆる行動に通ずると考える。僕自身、それらしい理屈を作るのが得意なものだから、日々欺瞞を産んでしまいがちだ。過不足なく、かつ正当な理屈を持って、日々の選択をしたいものだ。